▽▽▽

  

友人に、ジャズベーシストが居る。

彼に、ベースをデザインした。

その素焼き。

これから、本焼き。

このベースは直線的な「箱」のようなシルエット。

中米にカホンという打楽器がありますが、好きな楽器です。ダンス舞台でも使ったことがあります。飾り気のない直線的なデザインだが、素材が木材だからかもしらないが情のある音がする。

    

     

数年前に、神戸のライブハウスで、一緒に演奏をした。

トリオでやった。

もうひとりは、ピアニスト。

私はギターを弾いた。

    

「料理はベーシストが創り、使う器や酒器はすべて私が創る、ピアニストは精魂込めておもてなしをする」ということが、付録と言うか、それがメイン。

つまりディナーショーという事なのですが。

    

もちろん、ジャズライブなのだから、演奏も聴衆を魅了堪能させるものでなければならない。

ベーシスト作曲、ピアニスト作曲の、新曲が二作品披露された。

中華風味ブルースとボサノバ。ギターは私…。

もちろん世界初演である。

   

   

ベーシストは、やたら料理が上手い。

なので、ベースも弾けるシェフ、ピアノも弾けるマダム、陶芸もできるギタリスト。というシャレ。だったわけですが。

当日は中華料理コースでした。

ということで、ミュージシャン全員中国系コスチューム。

バンド名は、チャイニーズ・キッチン・バンド。

もしくは「ザ・キッチンワーク・ジャズトリオ」。

    

そのショーのときに創った手元にある大皿の裏を観てみましたが、

花の象眼をほどこしてあり、

「THE KITCHEN WORK JAZZ TRIO」と刻印されていました。

     

  

なんだか、わからないが、おもしろかった夜。

   



※使用ギターは、ストラトキャスターだった。 ジャズなのに。

※ベーシストは、幼稚園の同級生。写真横にあるのは、彼のバンドのCD。



    

     

   


2007.1.23 [2007年1月


    ▽▽▽

    

建物の彫刻をつくるときに

  

   

事前に窓をいくつかつくって、室内採光の具合を確かめます

   

      

同じように階段もいくつか作っておいて、建物のスケール感を考えます

窓の大きさやかたち 階段の段差 各所の壁の厚味などで全体のバランスをとってゆきます

思い起こすと 朝日を多く取り入れるような建物が多いです



     ▽

   


2007.1.24 [2007年1月


    

◇◇◇◇◇◇◇

水の教会。

海の近くの丘にある教会。

背後の山からの地下水。

入り口は東に向いていて、室内奥まで朝日がとどく。

西側は、すぐ海。海側には、テラスがある。

内部に泉が湧いていて、水路に成っています。

床は全面、湧水で充たされています。

この作品は、水路奥にそれぞれ採光窓があり、水路に光が差し込みます。



※舞踏家から譲り受けた一枚のポストカードから始まったお話しです。

     

      



















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2007.1.26 [2007年1月


    ▽▽▽

  

  象の絵 壁



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  絵の具 ロウソク



     





      


2007.1.27 [2007年1月


  photo by Satoh Shoji



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

器彫刻とか、静物彫刻と言っても、器っていうのは、なにをどーしたって「器」に見えてしまいます。

それは、器をつくっているのだから、当たり前と言えば当たり前のことではあるのですが。

立体の器作品は、なかなか静物絵画のようには、ならないということです。

これも、わかりにくい言い方で申し訳在りませんが。

  

   

蟹やら林檎を平面デッサンするように立体にすると、蟹の彫刻に成りますが、コップやら皿を観ながら立体をつくっても、それを観るたいがいの人は、それを『器の彫刻』とは思わずに「器」として観るでしょう?

ということなのですが。

これでも、解りにくい言い方です。

作文は難しいです。

      

     

空想の動物は、絵画や彫刻でもつくられている。

私は、自分でつくったコップを観ながらコップも創りますが、

最初の一個目は、まったく新しいところから想像してつくったもので、イメージから産まれたもの。

それも、また、「器」として観られていて。

  

   

    

作品をいくつか並べ、置き場所や光線状態を変化させたりしつつ、

私の器は、どのように組み合わせてみたら、「作品」として見えるのだろうか。

などと考えます。

  

     ▽

  


2007.1.28 [2007年1月


   photo Satoh Shoji



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

私のつくる器彫刻は、薄い。

器の中に入っている、お酒の重さがわかるような。そういうイメージ。

    

  

私の考えでは。

「物は丈夫な素材で強固に作るから壊れない のでは無い」と思っています。

   

   

私は、物は、丁寧に接するから壊れないのだと思う。

大事に使えば、壊れない。

長い間、身近で接しているとそれぞれに情感が育まれてゆきます。

それに 壊そうと思えば、なんだって壊れてしまう。何百年も耐える構造の日本家屋も。

愛しみと共に、大切にするから家具も家も住み継いでいける。

そして、街も家屋も家具も器も そのように暮らす私たちにかならずこたえてくれる。

  

  

ひとつの器と個人史が育まれてゆく。

  

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  


2007.1.29 [2007年1月


   photo Satoh Shoji

     ▽▽▽▽

      ▽▽



自然光の部屋で白い作品を観ているといろいろな色が見えてきます

白い中の微細な色の変化を楽しむ。

晴れた日と曇った日では現れる色味がちがう。

室外の直射では色が飛んでしまう。



先日、学生のころの恩師から「静物彫刻としての器」について、興味深いという言葉がとどいて

その先生が以前ボローニャのモランディの美術館を訪ねたときのことが記されていました。

モランディについて私は、ほとんど知らなかったのですが、モランディは静物画を描く為にモチーフのガラス瓶や鉢を無機的な単色の絵の具で塗って研究をしていたそうだ。

そういうこともあって、モランディの絵には彫刻を思わせる造形の強さがあるのだそうです。

白い器彫刻にモランディの造形精神に通じる魅力を感じたと言葉は結ばれていました。



モランディの作品は、写真集で何回か観たことがあるだけなので、今度本物をゆっくりとみてみたい。

  

     

  


2007.1.31 [2007年1月


 

     



     ▽▽▽

     空は海



      ▽

       

  回廊を歩き階段をのぼり 海へ還る

      



   



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2007.2.1 [2007年2月


     ◇◇◇

  

  

海に潜って 底の石にしがみついて体が浮かないようにする 水面を見上げる

息の続く限り水中から水面を見る

太陽と私の間を魚の群れが横切る



某入り江には 夏 イカの子供の群泳が居る

それを こちらも ただよいながら 下から観る 

魚よりずっとゆっくりなので 私でも充分に追いつく

イカの群れは 太陽に透かして下から見ると すごくきれい





その感じを持ち帰って作品にする

集まった体感は建物に成ったり器に成ったりする

島の白い家には白い器





ずいぶん前だがロンボク島へ行った

バリ島の隣 バリ島との海峡で生物分布が変わる

浜辺のバンガローにしばらく居た

昼間は海を歩いたり海の中を見たり

書庫があったので本をみたり

夜は地元の人と話してずごす

夜の海は夜光虫でいっぱいになり美しい





バリのアグン山は3千メートル以上ある

ロンボク島には もっと高い山がある

ロンボクから小スンダ列島をたどり西方にある鯨漁をする島に行こうと思っていたのだが 当時は就航便が極端に少なく果たせなかった





北側に長い浜がある

細かい珊瑚欠片の浜 白くて目に眩しい

早朝にアウトリガーのあるカヌーで漁師さんが海に出る 帰ってくる 村の人がポツポツと浜にくる

それからあとは誰も海にこない 静止画像のようにずーっとおんなじ

風景のなかでわたしだけがうごき 太陽だけが傾いてゆく

私しかいない そのような日がつづきました





浜を歩く

波にそって

ずっと歩いて振り返るとくねくね曲がった足跡がつづいてる

とても長い白い浜にわたしの足跡しかない





海はほとんど波が無くて静か

歩くのをやめないと波の音を聴き取るのがむずかしいくらいで 打ち寄せる波と帰る波が合わさるわずかな音がする

青くて

空との境目がわからないくらいで

すこし霞んでバリのアグン山がみえる





海に入ると枝サンゴが完璧に在って森のようだった 歩いては進めない

浅瀬を浮きながら浜から離れる





青い海の水を手のひらですくってみる

指の間からは 透明な海水がこぼれ落ちるだけで

透明が美しくてなんどもやってみる





海も大気も 幾重にも重なる透明な層

そこに太陽のひかりが参加すると「青」がうまれる



大気の底に居る私たちは 押しつぶされた大気の重圧を苦痛に感じているだろうか

私たちは この圧力の中でしか解放されない 

それだけが私たちの自由





地球の周りに貼り付いた林檎の皮のような大気の層の中に

私たちはいる

青の中にいる

青の中で私たちは解き放たれる







   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



  


2007.2.2 [2007年2月


 

 建物の彫刻です   

   ▽▽▽▽

    ▽▽

  













◇島の小学校◇



小学校には、この島の図書館が併設されています。

塔のある下部建物、縦長の窓のところが図書館です。





塔は日時計。

塔の基礎部には泉が湧いています。

二階建てのところが教室。





体育館や運動場はありません。

学校を出たら、島の全部が運動場です。





小学校には図書館が併設されています。





この小学校では歴史の年号を暗記させて受験に向かわせるような教育はしないでしょう。

教科書を観たら解るようなことは、教科書を観たらいいのだし。





だから、この学校の先生は、すっごい大人たちがいるのだと思います。





島で唯一の図書館は公共の社交場、島の大人たちが毎日ここに来ます。

学校の先生たちも、ここで専門書をひもといて研究をしています。

子ども達も昼休みや放課後には、図書館で大人たちと一緒にすごします。生物学者の大人は、子ども達から島の神秘性をいろいろ教わっています。大人も子どもたちにいろいろなことを伝えています。本や宝物の見せっこやさまざまな情報交換をします。





二階屋上部は、迷路にする予定だったのですが、やめました。





卒業生は、階段を上って塔の上から鳥になって飛んでゆきます。

ですから、卒業式の日は、飛行機は飛行禁止です。

鳥撃ちの猟師さんもお休みです。


















2007.2.3 [2007年2月

海へ還る/青い回廊