形が立ち上がった瞬間に 創作をフィクスする
表現に業(自我)が介入したとたんに 手を止める
アーティストの感性と手と素材が「彫刻に成った」 その瞬間の『発芽』が 此処にある
このような作品との出逢いは、なかなか無いと思う
期間は短いですが、このチャンスに ぜひ お見逃し無く
4月27日から5月9日(土曜日)まで
★日曜・祝日 休廊★
午前11時半から 午後7時まで
最終日は午後6時までです
藍画廊 中央区銀座1-5-2 西勢ビル二階
電話0335678777
http://homepage.mac.com/mfukuda2/aigarou.html
長野亮之介個展
【百顔繚乱展】
人人人…
顔顔顔…
人物画を描き続けるイラストレーター
一人一人の個性をシンプルに抽出 長野エフェクトを画紙に託す
会場は圧巻の原画群
色鮮やかな空間構成と成っている
ていねいに描き重ねられた一枚一枚の絵画に向き合うと 印刷物では知ることの出来ない作家自身が見えてくる
ぜひ会場へ
長野亮之介個展
【百顔繚乱展】
日時:2009年5月12日〜24日(月曜定休)
11:30〜23:00(火〜土)
11:30〜18:00(日)
会場:space&cafe ポレポレ座
東京都中野区東中野4-4-1 1F
tel.03-3227-1405
5/12(火) 19:00〜21:00 オープニングパーティ(軽く一杯!!)無料
5/16(土) 18:00〜21:00 地平線会議パーティ(ゲスト多数予定)会費千円
長野さん ご自身のブログです
http://blog.goo.ne.jp/hyakkao10
染め と 織り 布の展覧会
ゆとりのある会場に 見易く見応えのある展覧会
素晴らしい作品の数々が 自然光の入る会場に さらに映える
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
下記記事から添付致しました
http://nunupana.com/uchikui/future/
◎出展作品(展示と販売)
うちくい/てぃさーじ/刺し子布
芭蕉着尺・帯/八重山上布/和綿着尺/手締めミンサー帯/地機角帯/地機絹着尺/山着/絹紬花織/ぐんぼう着尺/琉球絣着尺/友禅羽裏/お召し/絹着尺・帯/ふんどし
【東京展】
会期:2009年5月28日(木)〜6月3日(水)
時間:11:00〜18:00
場所:「ラミュゼdeケヤキ」(東京都新宿区内籐町1-6)
電話:03-3353-7277(会期中のみ受付)
入場無料
【東京展】
5/28 オープニング・パーティー
(安里勇による八重山民謡・ミニミニライブ)18:00〜
5/29 レクチャー「問わず語り さらば呉服・働けキモノ」‥‥[東京A]
(講師:高橋裕博/ナビゲーター:織田七兵衛氏)18:15〜
5/30 レクチャー「『お誂え』ってなんだろう?」‥‥[東京B]
(講師:山本秀司)18:15〜
5/31 ワークショップ「芭蕉・苧麻が繊維になるまで」‥‥[東京C]
(講師:島仲由美子)13:00〜
6/1 レクチャー「衣・食 同源」‥‥[東京D]
(講師:高橋裕博/ナビゲーター:織田七兵衛氏)18:15〜
*イヴェント詳細は、以下のPDFファイルをご覧ください。
2009_uchikui_events_090413.pdf
◎お申込方法
MailまたはFaxのいずれかで下記事項を明記の上お申し込みください。
氏名(参加者全員)
住所・連絡先(MailまたはTel)
参加希望イヴェント名
【お申込先】
E-mail:info@nunupana.com(件名を明記してください)
Fax:06-6852-1156
【お申込受付開始日】
東京展:5月15日(金)より
いずれも先着順にて受付、定員になり次第締め切らせていただきます。
【お問合せ】
電話:080-1723-9071(小田)
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◎レクチャー講師プロフィール
島仲由美子(しまなか・ゆみこ)
竹富町織物事業協同組合理事長。1948年沖縄県八重山郡竹富町に生まれる。1975年八重山上布技術保持者。与那国清介氏に師事。1988年竹富町織物事業協同組合設立にかかわり、2003年より理事長。
高橋裕博(たかはし・やすひろ)
友禅作家。「ひろ2実験工房」主宰。1947年京都府生まれ。高校卒業後、友禅作家・河上峰仙氏に師事し染色全般を学び、1975年独立。1990年、芸術文化振興基金の助成を受け、近世の小袖の復元に取り組む。1999年、2000年とユネスコ主催の「東南アジアの匠」プロジェクトでタイ、ラオスの染色調査やフォーラムに参加。日本竹筬技術保存研究会理事。
山本秀司(やまもと・しゅうじ)
「山本きもの工房」代表。1967年横浜市生まれ。横浜で二代続く和裁士の家に生まれる。20代でグラフィックデザイナーから和裁士に。1995年、縫製の美しさを競う「全国和裁技術コンクール」で内閣総理大臣賞(金賞)を受賞。着物雑誌をはじめ、有名呉服店や染織家の個展の仕立てなどをてがける。また和裁教室を開き、一般の方にプロの技術を伝える活動や、新しい時代に向けたオリジナルデザインの和の衣装を提案・発表している。
織田七兵衛(おだ・しちべえ)
本名:鹿児島蓉子(かごしま・ようこ)1950年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学意匠工芸科卒業。パッケージデザインの仕事を続けるかたわら、古代法による植物染めで絹織物を結城の地機で制作。染織の仕事には、先祖代々の屋号名を使用している。工房は(有)アゴスト・アーキスタジオ。
平山ふさえ(ひらやま・ふさえ)
東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。三越パッケージデザイン部を経て、1993年芭蕉布に魅せられ、沖縄の喜如嘉芭蕉布会館伝承生となる。平良敏子氏に師事。2004年独立し、自宅で制作を始める。現在「工房風苧」主宰。
◎出展作品(展示と販売)
うちくい/てぃさーじ/刺し子布
芭蕉着尺・帯/八重山上布/和綿着尺/手締めミンサー帯/地機角帯/地機絹着尺/山着/絹紬花織/ぐんぼう着尺/琉球絣着尺/友禅羽裏/お召し/絹着尺・帯/ふんどし
◎出展作家
与那国島 つのだれいこ、我那覇亜紀子
西表島 紅露工房(石垣昭子・森田みゆき)、亀田恭子、前津雪絵
竹富島 島仲由美子
石垣島 森 泉、「からん工房」深石美穂、滝沢 都、上原久美、
津田明子、宮良 断+宮良ゆうな(陶器・東京展のみ)
多良間島 西筋ヒデ、浜川史江
沖縄本島 大城拓也、白井 仁、近岡恵子、平山ふさえ、平澤美和子、
古川 優、伊差川洋子染色工房、
「木創舎」城間光雄(家具・東京展のみ)
奄美大島 石川昌子
九州 山本恵子(山恵)、御手洗チサ
京都 高橋裕博、平林久美、織田七兵衛
岡崎 片岡理太郎
郡上 原 千絵
横浜 山本秀司
千葉 永井 泉
必見・展覧会のお知らせです
えりも 展
日程■7月15日(水)〜7月26日(日)
時間■10:00〜18:00
入場料■無料
お問合せ■ZAIM事務局 TEL 045-222-7030(担当者:鈴木・阿部・井戸川)
主催■財団法人横浜市芸術文化振興財団
えりも
立体造形作家。横浜生まれ、長崎育ち。日本大学芸術学部彫刻学科卒業。
1999年、スーパーフェスティバルモデルコンテスト金賞受賞を経て、アーティストフィギュア雑誌「D.D.D.」に作品を連載。
2003年、水木しげる展用に氏に双子等身大可動人形を制作する。
現在は、等身大可動人形を使った新しい表現を模索しつつ、?アップルと共同でえりもマネキンを制作中。
ZAIMホームページ
えりもホーム
えりもさんは、「自分の身近な人」「内的な想像人物」を【作品】として 創りつづけています。友だちとか 実のお姉さんとか。「そっくり」に。等身大関節可動人形です。
作品には、それぞれにいろいろさまざま「物語」や「こだわり」があって、その話は、実に深くておもしろいです。えりもさんが、内的想像を現実世界に「形」として引っ張り込んでくる『力』に ぼくは、感動します。
えりもさんの創る作品は、なにかの大量生産の為の「原型」では無くて、そのもの(現物)が まさに『作品』。
そこには、とても大切で重要な意味があると思います。と 書いても、うまい言い方では無いかもしれませんが。
今回、ざいむギャラリーに展示しているメインの作品(きのこの女の子)について、お話しを伺いました。
ちょっと書きます
「アメリカの田舎の13歳の女の子。彼女が、熱い恋をして。でも、まだ13歳だし、田舎ってこともあるかも知れないけど、その気持ちが『恋』だってことが、本人ぜんぜんわからない。でも 毎日毎日、苦しい。苦しいけど なんだか、すごく嬉しくって ドキドキしてときめいて。だけど、やっぱし とっても苦しい。どうしていいのかわからない たまらない。我慢我慢のグルグル。…そうこうしてる内に、溜まりに貯まった『恋心』が、体内で増殖爆発して、キノコに成って、体中から生えて来ちゃった」という作品。
☆最重要情報☆
そして なんと 今回の展覧会開催中・「えりもアトリエ・見学」できます!
えりもさんのアトリエは、ZAIM内にあるのです。 三階「301」号室
ただし、えりもさんがZAIMに居るときだけですので。えりもさんは、午後がいいとおっしゃってました。
このアトリエは、必見。素晴らしいです。最新の仕事についてのお話しもおもしろいです、ぜひ聴いてみてください。
◇◇添付写真について
今回の展示作品 (「きのこの女の子」じゃ無いほう)
えりもさんのアトリエの窓。 二人は「えりもさん自身と お姉さん」。今回の展覧会の案内状の写真は、この二人による物語。その話もおもしろいです、ぜひ、聴いてみてください。この二人、現在は目を外してあります。
えりもさんのアトリエの作品のひとつ 「聖母マリア像」
私が創る作品は 空想妄想幻想
だけど リアリティは いつも欲しいと思っています。
作品が「単なるファンタジーに成りたくない」という思いがあります
どこかにありそうで どこにもない建物。だけど、体の何処かで知っている記憶がある 初めてなのに懐かしいような こうだったかも知れない こうあって欲しい…「現実味のある空想」ができればと思います
想いを 鳥のとぶたかさから俯瞰する そうやって脳のなかの世界を具現化してゆきます
ときを止めないことによってリアリティはうまれる
旅をつづけること
旅をつづけるためには
目覚めたまま夢をみること 眠りながら正気で起きているようなこと
想い出せそうで想い出せないこと、もしかしたら真実はこうだった「かもしれない」…そういう感じの形を創りたい。「像を結ぼうとすると 消えてしまう」ような…でも、たしかに「在る」、ほんとうのこと。
子どものときに ほんとうに観たのに、大人に成ってそこへ行ってみると、無かったような。「子どもにしか見えない」ことのような。でも、それは「在る」でしょう? ほんとうのとでしょう?
どういうことかというと
鳥のとぶたかさから眺めた街並みは たぶん このくらいの大きさ
滑空して徐々に家に近づく
窓辺に休むと 食事の用意がされている テーブルと椅子
其処は此処では なかったか
その器が まさに此処にあるから
ここは あのまちと つながっている
9月10月の和歌山展覧会では しろいまちで実際に 古くから使われてきた器たちを展示します
おばあさんのお母さんのおばあさんが使っていた器 このうつわは孫子の代まで使われてゆきます
ここを 今を すこしずつ変えられないだろうか
貧乏でも豊かにおおらかに人生を過ごせないものだろうか
ここに この器があるということは
この世界が ほんの少しだけ ほんとうに変わったことには 成らないだろうか
やがて実物大のテーブルを創り 家が街が できてくる
それでも こちらがあちらに成るのではない あちらのような風景が望みではない
あちらのような気持ちで こちらでも過ごせたらなあ と思うだけ
物を壊さず大切にして 古い物を残し長く使う
物は頑丈に強固につくるから壊れないんじゃない 丁寧に愛しく付き合うからいつまでもそばに居る
そして 一日は ずっと長くなる
しろいまちのひとびとの暮らしについて想っています
この器は たぶん こんな感じかもとか おもいながら調理して盛りつけてゆきます
「あちらの器をこちらでつかう」
実物大で現実生活として行うことによって「あちらとこちらの通路」ができてくる
そして
思い浮かんだ断片が繋がれば お話しが できてくる
だけれども
「あり得ないな」とか「イマイチだな」とおもって 話をやめることが多い
まあ 想像の世界だから 空想妄想幻想なのだから すべてはウソなわけだけど 丸々ウソではつまらない 理想は理想のままにだれの中にもあるのだから 雲を掴むような話では夢は夢のままだから。
誤解を恐れずに言えるのであれば、創作にとって大切なことは「夢は壊れるもの」というのが大原則だとおもいます。
だから 意識的にイメージを補強してゆかなければ 放置された夢は記憶の彼方に埋没してゆく
「ありそうで無い けど どこかにはあったかもしれない あってもおかしくない どこかでなにかのはずみで 今はもしかしたらこうだったたかもしれない」…というような感じを連続できたらいいなとおもいます
「いにしえ」というニュアンスの単語が、ほしかったのですが
「ancient」としました
邦題は「とり の とぶたかさ」です
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
世の中は風化してゆく出来事で溢れているかもしれない
しかしながら ときとともに輝きを増す記憶は糧となるだろう
素晴らしきことは いつまでも新しい
いつも自らとともにあるから
なにも古いものなどない
石垣も家も
人が住めば家は息をふきかえす
巷では 遅れている人とか 古い人とか言うけれど
遅れているひとはいない 人は古くならない 古いひとなどただのひとりもいない
ひとは傷つく
ひとは老いる
けれども なお人はあたらしい
だれひとり時代遅れにも成らず 老若男女もれることなく だれもがみんなあたらしい
今よりも一秒未来を生きている人も 今よりも一秒過去を生きている人も ただのひとりもいない
ときとしてわたしたちはバラバラに居るように見えるけれど
たった今産まれた赤ん坊も 明日旅立つ老人も
世界中のすべての人が寸分の違いもなくまさに時代の最先端を一緒にいきている
だから 人は いつもあたらしい
あのまちのじかんと 此処の時間はちがうのだろうか
たぶん それぞれのひとには 絶対に壊れないじかんというものがある
海たる海 空たる空 は いま ここにある
記憶をたぐるときに光がやってくる
古からの光に足下を照らされて いまを生きている
もしも 今 失うことがあるとすれば
失ったものをそのままに知ることによって
この記憶を光にして また未来へと投げることはできないものだろうか
人々は 光や水を大切にしてくらしている
此処は 光に溢れ 太古から昏々と泉が湧いている
涸れることのない水源
「おいしいみず」 これは 世界の宝だ
光や水を称える祭りが いたるところでおこなわれている
水の人が踊ると 太陽の中に 雨が降る